ゴルフをする少年

ゴルフを趣味としている方はご存じかもしれないが、ゴルフ用語にあるバーディー(birdie)、イーグル(eagle)、アルバトロス(albatross)は実は鳥の名前。

1ホールの標準打数パーより1打少ないものをバーディー(小鳥)、2打少ないものを、イーグル(ワシ)、さらに3打少ないものをアルバトロス(アホウドリ)と呼んでいる。

ではなぜゴルフの打数に鳥の名前が使われているのだろうか?

それは1903年アメリカ東部のアトランティック・シティ郊外のゴルフ場で、フィラデルフィア・カントリー倶楽部のメンバーがゴルフを楽しんでいたときのこと。

その中のアマチュア選手デーブ・スミスが1打目を240ヤード、2打目を230ヤードも飛ばし、バンカーを越えてピンそばへ寄せた。

すると一緒にプレーをしていたコース設計家アーサ・ティリングハーネストには、ボールに羽が生えて、まるで鳥が飛んでいたように見えたのだろう、彼は「That’s a bird!」と叫んだ。

こうしてデーブ・スミスはアマチュアで初めてパーより1打少ないスコアで勝ち、その後、彼らが所属していたフィラデルフィア・カントリー倶楽部の中で、パーより1打少ないスコアを「バードが出た」というようになった。

そこから全米各地に広まって、いつしか「バーディー」と呼ばれるようになったのだ。

さらにその後、パーより2打少ないスコアが出ると、それをアメリカ人が鳥の王様であるイーグルと名付けた。

そして1921年、英米アマチュアゴルファーの対抗試合でのこと。

午前中の試合が終わり、イギリス側の惨敗の後の昼食の席で、イギリス人シリル・トレイがアメリカ人で後のマスターズトーナメント創設者であるボビー・ジョーンズを掴まえてこう言った。

「バーディーやイーグルはアメリカ人の新造語だけあってよく出すが、鳥の王様のイーグルを使ってしまったのなら、その上の1ホールで3アンダー・パー(パーより3打少ないスコア)はできないと諦めたらしいね。もしそれが出たら、イギリス人が栄光ある鳥を命名しようじゃないか。」

トレイはジョーンズを力ませようとしてこのようなこと言ったのだが、なんと午後の試合でジョーンズは520ヤードのパー5のロングホールを2打であがってしまったのだ。

試合後の懇親会で、ジョーンズはトレイに命名の義務を果たしてくれと迫ると、しばらく考えたトレイは「アルバトロス!」と叫び、拍手喝采を浴びたという。

アルバトロス(アホウドリ)は何時間も羽ばたくことなく洋上を飛翔するその姿から、海外では美しい海の女王というイメージがあるのだ。

しかし、陸上では不器用にしか動けないことから、日本では「アホウドリ」の名が付いている。また、明治時代には羽毛布団の原料にするためにアホウドリが乱獲されたという悲しい歴史もある。

ちなみにアメリカでは、イギリス人が名付けた「アルバトロス」よりも、「ダブルイーグル」の方が定着しているという。

ゴルフとウィスキーのワンショットは同じ意味

ウィスキーのグラス

ゴルフの本場といえば、イギリスのスコットランドを思い浮かべると思うが、実はゴルフの発祥の一説にはオランダ南部の「コルペン」という子供たちの遊びからという説がある。

コルペンは今のゴルフのように穴にボールを入れるものではなく、ボールを杭にあてるゲームで、15世紀にスコットランドに伝わってから今のゴルフのようになったといわれている。

スコットランドといえば、スコッチ・ウィスキーという英国スコットランドで製造されるウィスキーが有名だと思うが、ウィスキー1杯のことを「ワンショット」と呼び、ゴルフの一打のことも「ワンショット」と同じように呼ぶ。

これは単なる偶然ではなく、ゴルフとウィスキーのワンショットには意外な関連性がある

今ではゴルフは18ホールとホール数が決められているが、昔は何ホールまでプレーするのか決まっていなかった。

寒いスコットランドでは、ゴルフのプレー中に体を温めるためにウィスキーグラス1杯を1ホール終わるごとに飲みながらプレーしていた。

そして18ホール目になるとちょうどウィスキーが空になり、酔っぱらってもうプレイできないということで、18ホールに決まったという説がある。

ここからゴルフの1打もウィスキーの一杯も「ワンショット」と呼ばれるようになったとか。

また、これに対しては異説あり、11ホールを往復して22ホールで試合をしていたが、最初の2ホールがおもろしろくないという理由で、9ホールを往復して18ホールで試合をしたというものもある。

いずれにせよ、スコットランドではウィスキーを飲みながらゴルフをする人も少なくないので、ゴルフとウィスキーの関係は深いものだといえるだろう。

バーでスコッチ・ウィスキーを飲む機会があったら、こんな雑学を話してみてはいかがだろうか。

ゲートボールは高齢者のためのスポーツではなかった

最後にゴルフつながりでゲートボールに関する雑学をご紹介。

あまり激しい動きもしないし、ルールも簡単なことからお年寄りのスポーツとして定着しているゲートボール。

しかし、本来のゲートボールはお年寄り向けのものではなく、子供たちのために考案されたスポーツだった。

ゲートボールの発祥は1947年の北海道、鈴木栄治さんが鉄道の保線区員が工事をしている光景を見て思いついた。

彼は子供の頃にサハリンに住んでいたことがあり、そのときに教わったクロッケーを参考に子供たちに同じようなスポーツを教えられないかと考えていた。

クロッケーとは北フランス方言で「鉤(かぎ)」という意味で、カギ型の棒でボールを打つヨーロッパ生まれのスポーツのこと。

鈴木さんは旭川の知人の木工所で用具を制作して、普及に乗り出した。当時は北海道教育委員会の後押しもあり、日本ゲートボール協会も設立され、あっという間に日本中にゲートボールが広まった。

そしてゲートボールは小学校の体育の授業にも取り入れられ、1970年代の後半には「体力づくり運動推進全国大会」でゲートボールが取り上げられ、そこから全国の老人クラブへと広がり、現在にいたっている。

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