招き猫

商売繁盛などを願った置物「招き猫」。

ここでは右手(右前足)、左手(左前足)を上げた招き猫の違いや、発祥にまつわるいろいろな説ついてご紹介。

まずは、右手と左手を上げた招き猫の違い

・左手を上げている

左手を上げた招き猫は、商店などで多くみかけられ、人を招く、つまり商売繁盛にご利益があるとされている。性別はメス。

・右手を上げている

右手を上げた招き猫は、一般家庭などによく置かれ、福を招く、家内安全にご利益がある。性別はオス。

・両手を上げている

また両手を上げた招き猫をなかなか見ないのは、「お手上げ」を意味してしまうので縁起が悪いとされているから。手の位置が高いものほどご利益が大きいといわれているが根拠はない。

・現在の招き猫の種類

さらに現代では様々な色の招き猫がある。中でも人気があるのが金色の招き猫、金運アップに効果があるらしい。その他にも、黒や赤色は魔除け、ピンクは恋愛運、青色は学業など。

最後に招き猫の発祥の説で有名なものが以下の3つ。

 

招き猫の誕生説①【お告げをした猫】

この説は東京の下町に窯のあった今戸焼(いまどやき)に由来するもので、ある老婆が可愛がっていた猫が枕元にたち、猫の姿をした置物を今戸焼で作って売るように告げ、前足を上げた姿をみせたという。

その頃の浅草には、この窯で日用雑貨などを焼いていたのだが、その中に手あぶり用(手の暖をとるため)の猫の形をした火入れがあった。

その技術を利用して、招き猫を売り出したところ評判になり、大繁盛したという。

現在でもこの猫の形をした火入れは販売されている。

ちなみに由来しているのは台東区にある今戸神社。

住所は台東区今戸1-5-22

実は縁結びの神社としても有名で未婚女性などで賑わっている。スカイツリーや浅草が近いので観光がてら彼氏彼女ができるようにお参りするのもオススメだ。

招き猫の誕生説②【お殿様を助けた猫】

江戸時代初期、彦根藩主の井伊直孝が鷹狩の帰りに、ボロボロの貧乏寺を通りかかったときのこと、ふと見ると寺の境内で白い猫が手招きをしていた。

気になった井伊直孝は、その猫を追って境内に入ったところ、次の瞬間、元いた場所に雷が落ちたという。

命を救われた井伊直孝は、以降この寺を彦根藩の菩提寺とし、多くの寄進をして、貧乏寺は見違えるようになった。住職はその猫を終生かわいがったという。

豪徳寺では、この白い猫を観音様の化身だったと伝えられており、現在も招福殿にまつられている。このことから手招きした猫の置物は縁起がよいものとなった。

ちなみに現在の豪徳寺では1000体以上にもおよぶ招き猫が置かれていて、ちょっとしたデートスポットになっている。

町全体も豪徳寺の招き猫をあやかって、いろいろな雑貨やおみやげを販売している。

豪徳寺の住所は世田谷区豪徳寺2-24-7

さらに佐賀県のゆるキャラ「ひこにゃん」はこの豪徳寺の招き猫を参考にしているとのこと。

招き猫の誕生説③【武将を助けた猫】

江戸城を築城したことでも有名な武将太田道灌を助けた猫から招き猫が誕生したという説。

室町時代、豪族であった豊島氏との戦で劣勢になり太田道灌は道に迷ってしまった。

すると一匹の猫が現れ、手招きをして太田道灌をある寺に誘いこんだ。

すると不思議なことに太田道灌は戦を有利に進めることができ、後にこの寺にネコ地蔵を奉納していて、ここから招き猫が誕生したといわれている。

ちなみにこのお寺は現在の新宿区にある自性院。

住所は新宿区西落合1-11-23

実際に太田道灌が奉納したネコ地蔵は節分の日にだけ公開されるので、見てみたいと思った方はチェックしておこう。

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