人生を豊かにする名言

人は時に、一人の力ではどうしようもできない場面に出会うことがあります。

そんなときこそ、偉人たちの名言から人生を豊かにするヒントをもらってみてはいかがでしょうか?

いくつかの名言から、偉人たちが恵まれない環境の中であっても諦めずに大きな成功を治めた理由が分かるはずです。

今回はそんな「人生に役立つ名言15」をご紹介したいと思います。

(名言の順番は特に意味はありません)

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人生に役立つ名言

 

 

老子の名言

大器は晩成す

老子(BC5世紀頃)

これは「老子」の41章に記されている言葉で、「大方無隅、大器晩成、大音帰聲、大象無形」から抜粋されてもの。

大きな四角形は角が見えず、大きな器はなかなか出来上がらない、大きな音はかえって聞こえず、大きな形は形として見えない。

ここから、大きな器がなかなか出来上がらない事と同じように「偉大な人物ほど徐々に大成するため、世に出るまで時間がかかる」という意味で用いられるようになりました。

 

ナポレオンの名言

事物の中で最悪なのは決断できないことである

ナポレオン・ボナパルト(1769~1821)

ナポレオンはコルシカ島の貴族の出身で、そこから軍人となりフランス革命に参加しました。

1804年に皇帝となってから、負け知らずでヨーロッパを治めますが、モスクワ遠征に失敗し、ライプツィヒの戦いに敗れます。

軍事的、政治的才能が卓越していたことは有名ですが、私生活では女性関係が華やかだったいう逸話も。

上の名言は「決断力」がいかに重要かを伝える言葉です。

 

ルーズベルトの名言

「できるか?」と聞かれたらいつでも「もちろん」と返事をすることだ。それから懸命にやり方を見つければよい

セオドア・ルーズベルト(1858~1919)

ニューヨーク州の名家に生まれたルーズベルトは、1901~1909年まで第26代アメリカ大統領に在位し、史上最年少で就任しました。

1880年にハーバード大学を卒業、コロンビア大学の法科学院に進むも、24歳という若さで州議会議員に就任したため中退。

大統領就任後のルーズベルトは、独占企業に対する反トラスト法の適用、炭鉱労働争議の調停、国有林設置による自然資源の保護、日露戦争の仲介などを精力的に行いました。

「もちろん」という力強い言葉から、有言実行する強い意志が伝わってくる名言です。

 

ヘンリー・フォードの名言

失敗とは、よりよい方法で再挑戦するいい機会である

ヘンリー・フォード(1863~1947)

ヘンリー・フォードは、世界で初めて自動車の大量生産に成功した「自動車王」とも呼ばれる人物。

ミシガン州の農家に生まれたヘンリー少年は、幼い頃から機械いじりが好きで、16歳のときに機械工になります。

1888年にエジソン電気に転職し、チーフ・エンジニアまで出世するも、1903年に自ら自動車の組み立て工場「フォード・モーター社」を設立。

当時は一般大衆向けではなかった自動車を、手が届くものにするため自動車を流れ作業で組み立てる手法を取り入れました。

念願叶って1908年にT型フォードの生産を開始。

あまり失敗した事がないように思えますが、T型フォードが完成するまでの試行錯誤、流れ作業による生産から「単調な作業に耐えられない」という理由による退職者の続出など、度重なる試練を経験しています。

失敗を自分が成長する良い機会と受け取り、その度に再挑戦してきたことが感じ取れる名言です。

 

シャルル・ド・ゴールの名言

物事を考える人間は大勢いるが、行動を起こすのはたった一人だ

シャルル・ド・ゴール(1890~1970)

パリの国際空港「シャルル・ド・ゴール空港」にも名を残したド・ゴールは、第二次世界大戦で強力な指導力を発揮した軍人政治家です。

第二次世界大戦が勃発すると陸軍政務次官に任命されますが、続く敗戦によりフランス政府はドイツに降伏します。

しかし、彼はそれに従わずイギリスへ亡命し、BBC放送を通じてフランス国民にドイツ抗戦を継続することを呼び掛けます。

その後ド・ゴールの名はレジスタンス運動の象徴するものになり、1944年に首相に就任。彼は強力な指導力と行動力によって祖国フランスを救った英雄であり、行動することの難しさや、その威力をよく理解していたことが感じられる名言です。

 

ベンジャミン・フランクリンの名言

時間が万物の中で最も貴重なものであるとすれば、時間の浪費こそ最大の浪費である

ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)

Time is money(時は金なり)の格言でも有名なベンジャミン・フランクリンは、アメリカの実業家でもあり政治家でもありました。

そして上の名言には続きがあります。

「失われた時間は決して再び戻らない。そして、我々が十分な時間と言っているものは、実は極めて短い。」また「人生の目的は富を得る事」と明言しています。

人は生きている限り時間を有効に使うべきだと強く主張し、フランクリンの精神はアメリカの資本主義を発展させました。

「お金が全てではない」と批判する人もいるとは思いますが、どんなにお金持ちでも時間とお金を浪費すれば、人生が没落してしまうのは事実でしょう。

また日本では「時は金なり」という言葉を「時間は大切なもの」として広く知られていますが、実際にアメリカでは「時間がお金を作る」のように、微妙にニュアンスが違っているようです。

 

ビル・ゲイツの名言

少なくとも一度は人に笑われるようなアイデアでなければ、独創的な発想とは言えない。

ビル・ゲイツ(1955~)

Windowsで有名なマイクロソフト社の創業者であるビル・ゲイツは天才であると同時に、世界一のお金持ちとしても有名です。

総資産は6兆円以上とも言われており、世界長者番付では1995年から13年連続で首位を守り続け、2015年までに16回も世界一になっています。

本名はウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世、父親は著名な弁護士、母親は国連NGOの会長などを務めています。

独学でプログラムの開発を始めたゲイツは、ハーバード大学へ進学し、当時最先端のコンピューターで動くプログラムであるアルテアの開発を検討していました。

そしてゲイツは「売れるかどうか」を判断するだけのために、企業に「買ってくれ」と打診します。企業から「ぜひ見せてほしい」との返事を受け取るも、実はその時点ではプログラムは存在していなかったのです。

しかしながら、ゲイツはわずか8週間でアルテア用のプログラムを開発し、技術者たちを驚かせたという逸話があります。

 

グラハム・ベルの名言

たまには踏みならされた道を避けて、森の中に入りこむのがいい。今まで見たこともないものを発見できるに違いないからだ。

グラハム・ベル(1847~1922)

電話機を発明したことで有名なベルですが、スコットランドで生まれ、24歳のときに勉強のし過ぎにより体を壊し、医師に余命6ヶ月と宣告されたことからカナダに移住。

環境を変えたことで体調が回復し、アメリカのボストンへ移り住みます。祖父の代から発声器官の研究を続けていた彼は、聴覚障害者向けの訓練学校を開設。

その後、ヘルムホルツの「音声は電気によって伝達できる」という論文に影響を受け、トーマス・ワトソンと共に電話を実現するための研究を開始します。

アメリカでは、初めて作り上げた電話による言葉の伝達に成功した3月16日を「電話記念日」として制定。歴史を塗り替えるような大発明をするには、他人と同じことをするだけでは足りず、時には道をそれて新しい発見をする必要があると感じられる名言です。

 

ピタゴラスの名言

人は必要に迫られると、すぐに実力を発揮する

ピタゴラス(BC570~500頃)

ギリシャの哲学者であるピタゴラスは「直角三角形の斜辺の二乗は、他の2つの辺のそれぞれの長さの二乗の和に等しい」ことを発見した「ピタゴラスの定理」でも有名です。

数学のみならず、人生のあらゆる問題を研究し、精神力の重要さを強調した人物です。

「人は必要に迫られると、すぐに実力を発揮する」という名言から分かるように、深刻、真剣、禁欲主義的な生涯を送り、とても真面目な哲学者であったと言われています。

 

ジョン・スチュワート・ミルの名言

「自分は今幸福だろうか?」と自分の胸に聞いた瞬間、幸福ではなくなってしまう

ジョン・スチュワート・ミル(1806~1881)

イギリスを代表する哲学者・経済学者であり、政治・論理・倫理学にも大きな影響を与えた人物。

わずか3歳でギリシャ語を学び始め、8歳でラテン語、17歳までには幾何学、経済学、心理学、法学をマスターしていたと言われている天才です。

彼は幸福には様々な形やパターンがあり、価値観などによる違いから、幸福を数値化することはできないと考えました。

また、人々が幸福になるためには、ある程度の豊かさが欠かせない一方で、それを実現しようとすると確実に自然は破壊され、人間の精神的幸福が損なわれるという板挟みから、独自の論理を完成することができませんでした。

上の名言からも伺えるように、幸福とは何かを悩み続けていたと感じ取れます。

そして、彼が理想として掲げたのは「太った金持ち」ではなく「やせたソクラテス」でした。

 

トーマス・エジソンの名言

天才とは1%のインスピレーションと99%の汗である

トーマス・エジソン(1847~1931)

白熱電球を発明したことで有名なエジソンですが、その他にも映画、アルカリ電池、発電機なども発明しました。

貧しい家庭に生まれ育ったエジソンは、小学校にもわずか3か月しか通うことができず、母親から教育を受けるようになります。

12歳になると列車の中で新聞を売りさばき、自ら「グランド・トランク・ヘラルド」という新聞を発行するなどして、商売の才能を見せ始めていました。

その後、列車にひかれそうになった子供を助けた縁で、その子の父親から電新技術を習う機会を得て、電信技手となります。

そしてエジソンが大きく飛躍したのは自身が勤めていたウエスタン・ユニオン社に、株価表示器の特許を売ったことがきっかけになります。

金額はおよそ4万ドル(現在の価格で約2億円)もの大金を手に入れ、29歳の若さで研究所を設立。

この研究所から、白熱電球、蓄音機、自動電信装置などを発明し、生涯に1300もの特許を取得します。

ちなみに、上の名言はエジソン82歳の誕生日の記者会見で「これまでの発明の中で、もっとも素晴らしいひらめきは何ですか?」と聞かれた際に答えたものです。

意外に思われるかもしれませんが、エジソンの発明には、すでにあった技術を応用して作られたものが多く、文字通りひらめきよりも、汗という努力によって成功した人物だと言えるでしょう。

 

ウィンストン・チャーチルの名言

金を失うことは些細なことで、名誉を失うことは甚大だ。だが、勇気を失うことは全てを失うことだ

ウィンストン・チャーチル(1847~1965)

チャーチルは陸軍士官学校を卒業後、インドの反乱鎮圧やスーダン遠征に参加。

その後のボーア戦争で捕虜となるも、脱走に成功し国民的英雄になります。その知名度を活かし下院議員に当選。

内務大臣、海軍大臣を歴任するも、第一次世界大戦のガリポリ上陸作戦の失敗の責任を取り辞任。

しかし、第二次世界大戦において国民の強い支持から海軍大臣に復帰し、翌年には首相の座につきました。

不利な戦局において国民の戦闘意識を鼓舞するため、常に強気の姿勢を崩さず雄弁に語りかけました。

当時のヨーロッパ戦線への干渉に消極的だったアメリカを説得をし、連合国を勝利へと導いた人物です。

 

チャーリー・チャップリンの名言

人生で大切なことは、愛と勇気といくらかのお金だ

チャーリー・チャップリン(1889~1977)

喜劇王チャップリンの本名は「サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン」。

最初の「サー」は女王エリザベス二世からナイトの爵位を授けられたものですが、幼少期のチャップリンは不遇の時代を歩みます。

ともに芸人であった両親は、彼が生まれた翌年に離婚、引き取った母親は間もなく病に倒れてしまいます。

孤児院を転々とし、浮浪児同然の生活を送るも、愛と勇気とわずかなお金が彼を支えました。

わずか5歳で初舞台を踏んだチャップリンは、パントマイムを演じ人気者になり、当時イギリスで最も有名であったカーノ劇団に入団し、アメリカ巡業に参加します。

そこで映画監督のマック・セネットの目に止まり、後に莫大なギャラを稼ぐ映画デビューを果たすのです。

しかし1940年代に入ると、左翼的な思想をしばしば批判されるようになり、事実上の国外追放処分を受けます。

それ以降はスイスに移り住み、公の場には姿を見せなくなりました。

 

カール・G・ユングの名言

他人に接してイラつくことの全ては自分自身の理解に役立つ

カール・G・ユング(1875~1961)

スイスの精神科医・心理学者であるユングは、精神病患者の分析に関心を持ちました。

さらには健康的な一般人においても、無意識の中にある深層心理が隠されていることを解明します。

人が社会生活を送るうえで、他人の発言や行動にイラつくことが多いのは、自分の願望や真情が妨げられるからだとしています。

つまり他人を通して、今の自分に対して必要なこと、本当にやりたい事が見えてくるとも考えることができます。

 

デール・カーネギーの名言

人を熱烈に動かそうと思ったら、相手の言い分を熱心に聞かなければならない

デール・カーネギー(1888~1955)

アメリカの社会評論家であるカーネギーは、ミズーリ州の貧しい農場に生まれました。

苦労の末、州立大C学を卒業した彼は、セールスマン、俳優、雑誌の記者などを経てキリスト教青年会・弁論術担当となり、ロングセラーとなる「人を動かす」を発表します。

この本は自己啓発書の原点とも言われ、社会人としての心構えや、身につけておくべきことが易しい言葉で書かれています。

ちなみに彼の名前の本当の綴りは「Carnegey」だったのですが、相手に与える印象を良くするために、当時すでに実業家で慈善家であったアンドリュー・カーネギーと同じ「Carnegie」に改めています。

これはカーネギーが「人を動かす」ために最も成功したテクニックとも言われています。

 

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